ごあいさつ

院長あいさつ


院 長
藤崎俊英

(Toshihide Fujisaki M.D.)
院長略歴
昭和32年 旭川に生まれる
昭和59年 札幌医科大学卒業
平成 3年 整形外科専門認定医
平成 7年 医学博士となる
平成10年 11月21日開院
平成13年 医療法人優生会設立
平成27年 8月1日 日本骨粗鬆症学会認定医 (道南第1号)

開院20周年

2018年11月 藤崎整形外科クリニック 開院20周年を迎えました。

スタッフ一同

院長 藤崎俊英
 
 近況報告 平成28年4月16日
 開業して18年目になります。4年前に心筋梗塞を起こし九死に一生を得ました。それは、お盆前のある日の夕方、少し食べ過ぎたのか胸焼がするので寝室に行き横になっていました。そのまま朝まで寝ていたのですが、どうも身体がだるくフラフラする感じがしました。午前中始めは普通に仕事をしていたのですが、11時頃にリハビリスタッフの一人を呼んで患者さんへの対応が悪いと説教をしていたところまた胸焼けが出てきました。昼休みに当院の優しい看護師に点滴をしてもらい横になっていたのですが、どうも治まらず血圧も上が110mmHgでいつもより低く、心配になって心電図を撮ると心筋梗塞の疑いでした。あせった私は五稜郭病院循環器内科に電話をしました。幸い北先生が診てくれるということでした。仕事に段取りをつけて、患者さんがいる待合室を通り唖然としている患者さんを横目に見ながら、歩いて救急車に乗りました。心カテをおこなった右の冠動脈に狭窄部が見つかりステントを1本入れてもらいました。アッという間の出来事でた。

 2週間の入院をなんとか1週間にまけてもらい、退院した翌日に五稜郭病院の北村先生とゴルフに行きました。スコアーはめちゃくちゃでしたが生きていてつくづく良かったと思いました。総じて家族は心配していたと言うよりもビックリポンのようでした。その2年後にさらに2カ所の狭窄部にステントを入れてもらい、今では元気にしております。心筋梗塞になってからは、少し身体を気遣うようになりました。飲み会に出来るだけ出ないようにして、ダイエットに心がけております。仕事上も少し変化がみられたと思います。患者さんの話を辛抱強く聞けるようになったこと、患者さんを心配する家族の気持ちが身近に感じられるようになりました。あと私的にはホラを吹かないこと、大言壮語をしないことに気を付けて背伸びをしないで自分で出来ることをやるようにしております。ゴルフも上手くなるというより楽しんでやった方が心臓にはいいと思いやっております。

 昨年末に、あすなろ会なるものを始めました。会員は当院で研鑽をつまれた柔道整復師の先生と日頃患者さんを紹介し合っている整骨院の先生方です。会員は現在15名です。(松本行生・小川忍・橋本忠美・清水豊・稲垣智信・澤田哲也・水野功・山田篤・矢野定夫・古岡憲夫・工藤高広・松原靖宣・高島慶太・村田佳隆・斉藤博 敬称略順不同)で焼き肉さかいで一回目の会合を行っております。みんなと懇親を深め楽しい時間を過ごす事ができました。今後も関係を深めていきたいとつくづく感じております。もともと整骨院の先生方と整形外科医は助け合って共存共栄していかなければいけないというのが私の持論です。 それとは別に、整骨院の先生方を主に対象に行っている道南リハビリテーション研究会も既に16回を数えております。いろいろな先生方にご講演を行って頂き好評を得ております。今後も続けていきたいと思っております。

 社会的にはセントラルロータリークラブに鍋谷操女史の紹介でチャーター会員として入会して12年になりました。病気もあって休みがちですが、社会貢献の為になくてはならない会として、今後も大事にしていきたいと思っております。また異業種の経営者が集い業務の連携をはかるアナザークラブに矢野定夫先生のご推挙で3年前に入会しました。この会での親睦は遊びが多いので私に向いていると思います。

 当院野球部も世代交代を経て福地監督・熊内・高橋コーチの元頑張っております。札幌医大整形外科野球部との春の合宿を兼ねた対抗試合も私にとっては楽しみの一つで、ずーと連勝していたのですが、昨年初めて惜敗して悔しい思いをしました。たぶん今後は連勝を続けてくれるのではないかと期待しております。一昨年札幌医大整形外科が日本整形外科学会野球部門で優勝したのも記憶に新しいです。今年も当院野球部は色々な大会で燃えてくれるのではないかと期待しております。

 道南わんぱく柔道大会も昨年10回を迎えることができました。子供たちにとっても、お父さん、お母さんにとっても楽しみにしている大会だと思っております。今年は11月6日に開催予定です。更に今後10回続づけられるように会長として頑張りたいと思っております。賞状を渡すときの子供たちの嬉しそうな顔から、私も元気を貰っている気がします。

 「藤崎整形外科野球部に永遠に幸あれ」
 函館にスッポン料理で有名な「大文字」で隣の調剤薬局の社長と会食したときのことです。 開院して四年経ち少し余裕ができたので、病院興しに何かやろうと相談していました。例えば函館港祭りのイカ踊りに参加しようか、しかし恥ずかしいので止めようとか、大野町の夏祭りに出店を出すのも良いなぁ、子供も来るし病院のイメージアップには良い、整形外科なのでスポーツもいいなぁ、当院には柔道師も多いので団体戦に出ようか、函館は野球が盛んだし、サッカー部もいいな、職員の旅行はお金が掛かるからダメだなとか他愛もない内容でした。

 有斗高校硬式野球出身の運転部福地君の話になって、野球はどうか、しかし「最低九人いないとダメだから無理だね」。すると、突然鍋に野菜を入れていた仲居のばっぱが「私の娘の旦那で野球が上手で投手をやっていたが今は暇だ」と口を挟んできた。話半分でその高桑君に一回会って見たところ、素人目にもすごすぎる球を投げるのでびっくりした。天恵だ、逃がしてなるものかと、さっそく職員になってもらい、最初は医事課の女の子も入ってもらい何とか職員で九人集め、せっかくだから大野町の野球大会に参加を申し込んだところ、なんと大野中学校に勝たないとダメだとの返事が返ってきた。さすがに低い評価にムッとしましたが、当然のように中学生相手に勝利したのが最初の一勝でありました。平成15年春の事です。

 結局一年目は、大野町の野球大会(年4回開催)準優勝が最高だった8勝3敗、勝率7割2分だった。スポーツに関しては負けず嫌いな私は、かみさんの応援も得て、少しでも野球部を強くしようと野球のできる職員を優先して闇雲に採用したり、日本新薬社会人野球で大活躍した熊内氏をコーチに招聘した。

 二年目は渡島スポーツフェスタで知内町を決勝で破り、渡島町村野球大会では長万部町を破り、病院対抗では函館中央病院を破り、渡島支庁杯Bなど4回の大会で初出場初優勝、大野町の大会では3回優勝して、29試合中25勝3敗1分勝率8割6分と驚異的な成績に終わった。勝利の美酒をみんなと酌み交わしましたのは言うまではありません。頑張ればやれると確信を持ちました。またこの年から札幌医科大学整形外科オステオファイターズが、5月のゴールデンウィークに函館合宿に来てくれることになった。日本整形外科学会の親善野球大会で石井清一教授時代に優勝3回を誇る強豪である。毎年北大との熾烈な北海道代表争いをしているわけですが、それまで砂川市立病院の元同門会長の吉田先生のところで合宿していたのが定年を境に変更したのです。毎年同門の後輩と野球をしたり楽しい宴会は楽しみとなっています。

 今回平成25年に彼らが13年ぶりに日本整形外科会で優勝したのは自分のことのようにバンザイであります。益々喜んで調子に乗った私は、3年目からは甲子園球児で函館オーシャンにいた平田君を監督に迎えた。この年は高松宮杯2部で函館市水道局を、道南カップで日産科学を破り初出場初優勝2回、大野町の大会では2回優勝、この年は24勝4敗、勝率8割5分であった。その後大野の大会せは上磯町と合併して北斗市の大会に成ってからも、じゃんけんで負けたとき以外は負けたことがないと言う記録を更新中なの逆に申し訳なく思っています。ちなみに平成20年からは北斗市の大会の一つを藤崎整形外科杯として要請され、そのときは絶対負けないでくれと応援の力がはいります。またこの年から函大有斗高校の軟式野球部との春一番の定期練習試合が毎年行われることになった。しかしチームが強くなるにつれて、全道大会への出場も増え強いチームとの対戦も多くなってくるのは当然ですが、勢いに乗った我がチームには勢いが止まりません。

 4年目平成18年は、驚いたことに高松宮杯2部で鵡川ライオンズOB会を2対1で破り全道大会初優勝全国へ駒を進めました(全国は2回戦敗退)。さらに北海道知事杯道南ブロックで初出場初優勝し、嬉しいことに胆振予選も野球場を持っている三愛病院を下し、全道でも日本赤十字血漿分画センター(千歳)の決勝を征し初優勝し全国大会へ、水戸で全国大会は茨城銀行に15−2とボロ負けし、1回戦敗退しましたが、強豪との対戦に大変勉強になりました、捲土重来です。

 また、この年はありがたいことに東日本大会の全国大会が函館で開催されたのに推薦され2部ベスト8となったのを忘れることができません。この年は病院対抗も函館医師会病院を下し2連覇、道南カップでも太平洋セメント上磯工場を下し2連覇。藤崎整形外科杯優勝、思えばこの頃が第一期黄金時代だったのかなと振り返ると思います。34勝6敗、勝率8割5分だった。

 5年目平成19年は高松宮杯1部道南で知内野球協会を下し初出場優勝、一番強いチームが揃う天皇杯道南初優勝、惜しいことに全道大会では神出設計に2−0で破れたが準優勝するという大健闘を成し遂げた。23勝7敗1分、勝率7割7分だった。

 6年目はこの年から開催されたマルハンドリームカップで支部初優勝し全道大会では惜しくも準優勝に終わったのは残念でした。また、東日本軟式野球大会1部道南で優勝、全道大会ではまた準優勝に終わったのは運がないと残念でした。個人的には野球とマージャンほど運が大事なものはないと思っています。藤崎整形外科杯優勝。26勝11敗、勝率7割だった。

 7年目は東日本軟式大会1部道南で優勝、全道では2年連続準優勝に終わった、悔しい。他に道南カップ優勝(3年ぶり3回目)、渡島スポーツフェスタ優勝、藤崎整形外科杯優勝、大野の大会は試合の日程がだぶりあまり出れなくなった。大野の大会で勝つことを目標にして野球を始めたのに、あまりでれなくなってきて寂しい限りです。後は道南の2大会で準決勝敗退と少し低迷した一年だった。21勝6敗、勝率7割6分だった。

 8年目平成22年は、張り切ってシーズンを迎えた。春先にオープン戦を9試合も組んだのが裏目に出たのか、勝ちたい気持ちが空回りし、結果が伴わなかった一年でありました。来年はチームの若返りをうまく図らなければならなくなった。高松宮杯1部道南優勝、全道2回戦敗退。藤崎整形外科杯優勝。天皇杯道南準決勝敗退、東日本1部道南と道南カップ準優勝、残念。18勝8敗、勝率6割5分と過去最低だった。こうしてみると毎年何らかの形で全道大会に出場するという記録だけは継続亢進しているようだ。

 9年目は春先にオープン戦を増やして11試合も組んだ。頑張るぞ、高松宮杯1部道南で優勝(2年連続3回目)、その全道大会で滝川市役所を6−0で撃破し初優勝を遂げた。市役所関係のチームは強いところが多い、なぜだろう?患者さん達もカンパしてくれみんなありがたがって、張り切って行った全国大会は三菱重工名誘に2−8で1回戦敗退、壁は厚い。しかし全国大会に出てくるチームは甲子園経験者がうじゃうじゃいるわけだし、全員甲子園に行ったこともない我が軍は健闘したともいえる。他はマルハン大会道南準優勝、東日本大会準優勝、道南カップ準優勝、藤崎整形外科杯優勝(4年連続4連覇)、他北斗市野球大会1回優勝、23勝8敗2分、勝率7割だった。

 10年目は良い事がありました。マルハンドリームカップ大会で道南優勝、全道大会でも釧路、旭川、北見の代表を続けざまに破り初優勝した。全国大会は中国・四国代表の岡山のチームに惜しくも3−1で敗れたが接戦だった。後は国体道南準優勝、北斗市野球大会1回優勝。11勝8敗、勝率4割8分だった。しかし2年連続全国大会に行けたのは良い思い出になった。歴代の監督、福地君、平田君、三浦君、三上君ありがとう。一番はいろいろしてくれた指導してくれた熊内コーチに大変感謝感謝。

 13年間の成績をまとめると、102大会出場し優勝43回、準優勝13回、全道大会12回出場し優勝4回、準優勝3回。全国大会5回出場。345戦244勝90敗11分、勝率7割でした。試合を見に行ったらいいのは判っているのですが、逆にプレッシャーをかけたらどうしようとかいらないことを考えたり、点を取られたり、接戦になるとドキドキしたりして心臓に悪いったらありません。そろそろ応援に疲れてきたのですが、しかし投げ出してはいけない。私の母校である旭川東高の校訓「継続は力なり、しまれ、頑張れ」の精神でこれから力の続く限り敵味方なく野球を、野球青年を応援していきたいと思います。最後に、今年の3月26日に北海道新幹線が開業したので、是非新幹線に乗って全国大会応援に行きたいですね。